地質とお裁き
脇水鐡五郎
地質と裁判などというと、原発や土壌汚染といった生々しい話を思い浮かべる人が多いでしょう。これはもっとのどかな昔のお話です。以下、脇水鐡五郎『車窓から觀た自然界―東海道』からの引用です。
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河 口 湖
かやうなわけで、河口湖は、富士山よりもずつと前の御坂層の山の根へ、富士山の古い熔岩が突っかけて、その間の窪地に水が溜まったものであるから、湖の北と南とで、全く地質を異にしゐる。これについて、面白い挿話を一つここに御紹介する。
河口湖の眞中に、鵜の島と稱する小さな島がある。樹木が能く茂って、頗る風致に富み、島の上に辨財天が祀られてゐる。もと北岸の大石村に属してゐたが、舊幕時代のいつの世にか、湖の水位が著しく減退して、南岸の船津村からは、徒歩で渡ることができるやうになった。そこで人々は、南側の船津村の方から、辨天様に御詣りするやうになって、辨天様が大繁昌をなし、何時とはなしに、鵜の島が船津村の所属に歸した形となった。そこで大石村のものどもが、大いに憤慨して、兩村の間に係争が起り、遂に裁判沙汰となった。この時の裁判官は、餘ほど頭のよい人であったと見え、判決を下して曰く、おのおの方は見よ、船津村は富士の燒石から成り、大石村は赤茶けた別の岩から成ってゐる。そこで鵜の島を見るがよい。島には燒石はない。全部が大石村と同じ岩から出來てゐる。されば鵜の島は船津と陸續きとなつたればとて、當然大石村に属すべきものであると。これは地質を應用した名裁判であって、爾来、鵜の島は永久に大石村に属することに確定したといふのである。
[引用文献]
脇水鐵五郎(1942),『車窓から觀た自然界―東海道』,199-200.
更新日:2007年12月31日