元祖『車窓の地学』

矢島道子


 1948年に発行された「地球の科学」という雑誌に『車窓の地学』という試みがなされているのを見て、現代版『車窓の地学』がほしいなあと思っていたら、『車窓から觀た自然界―東海道』(誠分堂新光社, 378pp)という著書が1942年に発行されていることを見つけた。どうやら元祖『車窓の地学』のようである。現代版『車窓の地学』が早急に刊行されることを願って、内容を紹介する。
 『車窓から觀た自然界』の著者は脇水鐵五郎(1867-1942)である。脇水は明治26年東京帝国大学理科大学地質学科卒業後、東京帝国大学農科大学と工学部の講師、東京高等師範学校講師を兼ねた。大正6年東京帝国大学農科大学教授となり、定年退官後、昭和4年には駒澤大学専門部に歴史地理科を設置し教授に就いたという経歴をもつ。森林や農作物は土壌で大きく左右されるが、実はその基礎の地質が大きな因子となっているという森林立地・地質学をヨーロッパで学び、日本に根付かせようとし、そして近代的風景論を創出した人とされている。晩年は全国にわたって史跡・天然記念物・名勝の調査を行い、耶馬溪、龍泉洞、龍河洞、鷲羽山など命名した観光地は多い。
 脇水は本書の序で「汽車に乗る人の多くが、退屈しのぎに、読み古しの新聞を精読し直したり、雑誌に読みふけったりして、無意味な時を費やし、それも飽きると居眠りするのが常である。しかし我々は自然に関する学問をしたおかげで、窓外に送り迎えする景色を楽しく眺めるほかに、近くに展開する畑の作物の種類や畦の造り方、さては土の色の変わり行く様を見て、作物と土の関係を考えて見たり、あそこが茶畑になっているのに、ここが桑畑になっているのはなぜか、と憶測してみたり、さては遠方の山を見ては、あれは火山か、あれは石灰岩の山か、あの山は、どうしてあんなに尖っているのか、あの山は、三紀の山だから、平らで低いのか、などと色々考えている中に、走り行く汽車は、後から後から、新現象を、応接に暇ないほど、提供してくれるから、他の人のように退屈して困ることはないよ。これは自分が、自然関係の学問を選んだお陰だと、時折考えることもあるよ(現代仮名遣いに変更済み)」と書いている。汽車を電車と書き換えれば、そのまま使えそうな文章である。頭のよい編集部に「先生、それではひとつ、その汽車の窓からの観察記を、一つ書いてください」とつかまったそうである。
 本文は東京駅から始まって、神戸まで29回にわたって書いてある。東京駅では、王子へ行ったり、御茶ノ水へ行ったり、途中、熱海線に出てみたり、伊東線に出たり、あちこちに寄り道する。読んでいて、とてもおもしろい。丸の内ビルの建っている地盤は悪いけれど、東京駅の地盤はいいとか、その理由とか、根府川事件とか、関東大地震の被害については、やはり多く書いている、丹那断層のトンネル事故では、午前と午後の違いで九死に一生をえたことも書かれている。富士の植物景観では筆は踊っているし、最後は六甲山の花崗岩について、その功罪を述べている。最後の文章は「神戸市の異常なる発展は、山手の方へ人間を追いやり、山を崩したり、谷を埋めたりして、人力によって、自然の営力に反抗したから、一昨昨年は不時の大雨によって、予想外な水害、いな土砂害をこうむる事になった。人工によって、自然に反抗した人の罪は、さることながら、もし六甲山が花崗岩の山でなかったならば、あれほどの大被害はなかったはずである」で終わっている。脇水が神戸地震を目撃したらどんな文章を書いたことであろう。後記では「われながらこの車窓観察の余りにも粗漏不完全なことを恥じざるをえない。……今の忙しい人々が、余りにも自然に無関心であるのに憤慨し、…この挙に出たものである」と結んでいる。やはり、現代版『車窓の地学』は早急に必要なことと思う。
 なお、脇水の著書はweb page『日本の古本屋』で探すことのできる、入手しやすいものである。
[文献]  『車窓から觀た自然界―東海道』 脇水鐵五郎著, 誠分堂新光社, 378pp, 1942.

更新日:2007年12月4日