『地と人』と羅須地人協会
矢島道子

先頃、加藤碵一氏が『宮澤賢治の地的世界』(愛智出版)を上梓された。地質学者としての宮澤賢治を余すことなく伝えようという意欲的試みで、第17回宮澤賢治奨励賞を受賞している。加藤氏のご案内で11月に宮澤賢治ツアーにでかけた。贅沢な旅である。
花巻農業高校校内の羅須地人協会の建物(右写真)を見ているうちに、早坂一郎(1891-1977)に『地と人』という著作のあることを思い出した。早坂一郎は大正14年夏、“イギリス海岸”で賢治に案内されて化石バタグルミ調査をし、翌年地質学雑誌に記載論文を報告している。宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』にはその調査の様子が書かれている。
早坂一郎は『随筆地質学』や『角礫岩のこころ』などいろいろな著作が知られているが、『地と人』はもっとも初期の作品で、大正10年には日本図書出版から、大正15年には増補して、京文社から発行されている。大正10年版は「地と人」「人類起源の問題と聖書の記録」「化石物語」「生命の回想」「ダーウィン種原論の前後」「附録ロシアの自然科学」の文章があり、大正15年版は大正10年版よりも「地質時代の大動物」「魚の雨」「ダイヤモンドの産地調べ」「地中の宝物」「世界最深の穴」「地球をもてあそぶ」とが増えている。基本的には簡単な地史学と古生物学史である。「地質時代の大動物」は恐竜の話であるし、「地球をもてあそぶ」は大陸移動説のことである。
最も重要な「地と人」は当時の最先端の地史学である。先カンブリア紀から現在までの生物の歴史が書いてある。「地と人」は何を意味しているのかよくわからない。ところが、微妙なことが「序」に書いてある。
- 近頃は世間で文化運動とか申すものが中々に盛んなそうで、真に結構な事と存じます。ところが、承ると此の運動は、その理想は兎も角として、実際は所謂「文化科学」に関係して居る人達や殊に若い芸術家達などの宣伝運動の様なものと申すことで、若しそうだとすると格別新しい現象だと云うわけでも無い様に見えます。人生の意義を詩歌や舞踊や、乃至は政治や経済などにのみ見出そうとするのはかなり古い昔からの事で、而もどこの国でもそうであったのです。
- …中略…
- 二三年前から少し宛の暇をぬすんで雑誌などに載せてもらったものの内から数編を抜き出し多少の修正をほどこし、数個の図を加えて「地と人」と云う名で出すのはつまり二つの「レプタ」位にはなろうかとの心からです。
早坂一郎は当時の文化運動に異議を唱え、彼なりの文化活動を展開して、二つのレプタ(彼のもっているすべて)を提出するというのである。当時は、いわゆる大正デモクラシーのど真ん中である。いったい何があったのであろうか。
大正10年頃の地質学をめぐる社会状況について、大橋良一は1969年矢部長克への追悼文で次のように書いている。
- 東北大学理学部は古河家の寄付によって創設され,日本の産業を振興するために,有用なる人材を養成するという公約に基づいて設立されたのであって,この時から日本の大学の理念が大きく転向し初め[ママ]たのであった。即ち真理の探究は二の次として、実用主義の研究と教育を主とするように大学が変質してゆく第一歩が踏み出されたのであった。
- 君の学風はウイン留学中に確立したらしく,この崇高な学風を終生守り通して,微動もしなかったのは,実に立派であった.小藤先生でさえ,大正10年頃には,社会の要請を顧慮してUseful Geologyを提唱されたことがあったが,矢部さんは此の新しい風潮に,飽くまでも逆らって進まれた.この事は同時に大学という理念と,学問の自由を守り通すことでもあったのである.(大橋良一,1969,追悼・矢部先生を憶う,地質学雑誌,75,641-2.)
小藤文次郎でさえ、悩んだようである。それにしても、この文章は最近の風潮にどことなく似ている。
東京地学協会には日本地学史編纂委員会があり、1992年から『日本地学史』の執筆を進めている。大正10年頃の地質学をめぐる社会状況については、日本地学史編纂委員会は、世に言う大森・今村論争が関東大地震の発生によって、形の上では大森の敗北に終わったことを記し、また、一般科学雑誌にふれて、以下のように記している。
- 大正10年(1921)に3月に財団法人科学知識普及会が組織され,7月に「科学知識」が創刊された。この雑誌は初期には一般的な科学技術普及雑誌であったが,次第に文芸や思想,哲学までとり入れた,当時としてはユニークな編集方針であった。
- 大正12年4月には新光社から「科学画報」が創刊された。これは当時としては珍しくイラスト重視の科学普及雑誌である。また原田三夫が雑誌「子供の科学」(誠文堂)を創刊したのは大正13年10月である。(日本地学史編纂委員会,日本地学の形成(明治25年〜大正12年)<その1>―「日本地学史」稿抄―,地学雑誌、104,1995)
宮澤賢治が早坂一郎の『地と人』を読んで感銘して「地人協会」つくったかどうかを決める証拠は何もない。ただ、早坂一郎も宮澤賢治も「ひとびとのためになる地質学をつくっていかなければならない」という時代風潮の中にいたことは事実なのではなかろうか。私は、宮澤賢治の作品を逐一検証していないし、世の中には宮澤賢治研究者がごまんといるそうだから、いくつか資料を提出して、結論はおまかせすることにする。
更新日:2007年11月23日