魯迅は地質学者?

矢島道子


 2002年中国地質学会は80周年を迎え、それを記念して地質学会の歴史を編んだ書物を出版した。その書では、地質学会の前史として20世紀初頭の中国地質学界の重要な事件が書き並べてある。その第1行に1903年魯迅が『中国地質略論』を出版したと書いてある。中国地質学会が地質学の歴史の嚆矢を魯迅としていることを少々羨ましく思った。
 魯迅は有名な作品『藤野先生』に見られるように、最初日本で医学を勉強したが、それでは中国国民を救えないと考え、文学者になったとずっと思っていた。ところが、魯迅が日本に留学してきたのは地質学を勉強するのが目的だったのだ。魯迅は日本への留学先を東京大学工学部冶金鉱床講座としていた。魯迅は『中国地質略論』を日本で発行された雑誌に投稿している。これは魯迅の最初に活字になった文章である。
 『中国地質略論』中の魯迅の檄を少しだけ記しておく。
 自国で作った精密な地形図が一幅もないようなら、その国は文明国ではない。自国で作った精密な地質図(および地形・土性などの図)が一幅もないようなら、その国は文明国ではない。そればかりか、これは、その国がやがてかならずや化石となり、後世の人がそれを撫でながら嘆息して「絶滅種」と名づけるようになる前兆でもある。
 中国は中国人の中国である。外国人がこれを研究するのは許してよいが、外国人がこれを探検することは許せない。外国人がこれを驚嘆するのは許してよいが、外国人が野望をいだくのは許せない。
さて、21世紀に入った今日、国を救うのは地学であろうか、医学であろうか、文学であろうか。

更新日:2007年4月1日