日本で最初に進化論の講義をしたのはモースではない!
矢島道子
東京大学理学部生物学教室初代教授モース(Edward S. Morse 1838-1925)が日本で始めての進化論を講義したといわれている。後の物理学者田中館愛橘の明治10年9月24日の日記に「Attended all lessons. A lecture on the Evolution Theory by Dr. Morse very forcibly delivered」と書いてある。
ところが、それよりも前に進化論の講義があった。聞いたのは東京医学校(東京大学医学部の前身)の学生森鴎外、話したのは明治6年来日し、明治9年離日したお雇い外国人ヒルゲンドルフ(Franz Hilgendorf 1839-1904)である。聴講ノートが残っている。ヒルゲンドルフはダーウィンの進化論を説明し、その例として、自分の巻き貝化石研究を講義した。
ヒルゲンドルフで最も有名なのは、江ノ島のお土産屋の店先でオキナエビスをみつけ、「生きている化石」と報告したことである。ヒルゲンドルフの報告を知った大英博物館自然史部門(現ロンドン自然史博物館)が生きているオキナエビスの標本を東京大学に求めてきた。東京大学臨海実験所の初代採集人「熊さん」は何の苦もなくオキナエビスの標本を採集した。それに対して、イギリスから大枚の報賞がやってきた。「熊さん」が採集した頃は、この貝に名前が付いていなかったので、これはチョウジャガイとしましょうと名前をつけた。その後の文献調査で江戸時代に出版された『目八譜』にすでにオキナエビスという名前がついていたことがわかり、和名をオキナエビスにし、チョウジャガイは科の名前で現在でも残っている。
「生きている化石」ということばは日常比較的よく使われるが、実はダーウィンが『種の起原』で使っているれっきとした学術用語である。ヒルゲンドルフはチューンビンゲン大学での学位論文で、中新世の巻き貝化石が地層ごとに形態変化をしているのを、進化であると解釈した。これは、指導教官からはまやかしであると言われたが、ダーウィンの『種の起原』第6版に引用されている。
なお、ヒルゲンドルフは日本の生物で多くの研究論文を書いているが、最も多いのは、分類の難しい、知る人ぞ知るハゼという魚の研究である。
オキナエビスの写真は佐々木猛智氏提供
更新日:2007年4月14日