日本最古のクリノメーター

岩松 暉


 鹿児島の尚古集成館にはわが国最古と思われるクリノメーターがある。名票には単なる測量器械とあった。しかし、東西が逆に刻印されているし、何よりも振子が付いている。おまけに90゜までの目盛も打ってある。明らかに傾斜を測定する道具である。方位を狙う折り畳み式のアリダードまであり、鏡がないだけでブラントンコンパスそっくり、ただ、水準器がない。裏にネジ山が切ってあるところをみると、平板など別なものに付けて使ったものらしい。恐らくそれに水準器が付いていたのであろう。そのためか、本体には製造会社名や国名など一切書かれていない。どうしてこんなものがここにあるのだろうか。
 尚古集成館の収蔵品はすべて島津斉彬侯の収集されたものと言われているが、私は、恐らく斉彬侯のものではなく、1865年(慶応元年)薩摩渡欧留学生としてイギリスに密航した15人のうちの田中靜洲(朝倉盛明、1843-1925)の持ち物か土産ではないかと推測している。彼は途中からフランスに移り、鉱山学を学んだからである。あるいは、島津茂久(忠義、1840-1897)の招きで1867年(慶応3年)に来薩したフランスの鉱山技師コワニー(F. COIGNET, 1835-1902)のものかも知れない。現に、これと同型のものが生野鉱山にあり、コワニーのものと言伝えられているという。鉱山学校で有名なドイツのフライベルグ製で、輸出向けに作られたものであろうとのことである(ドイツ語なら東は Ost で、E ではなく O のはず)。また、ステッキの頭に付けて使ったものらしいという(清水大吉郎氏談)。なお、朝倉盛明もコワニーと共に生野に移り、最後は生野鉱山局長になった。
[文献]岩松 暉(1989): 実践的地質学の源流としての薩摩. 鹿児島県地学会誌, 62号, 17-32.
<注>
 その後2007年7月、生野鉱山に行ってみた。写真のようにかなり大型で直径15cmほどある。確かに東西は逆に刻印されているが、傾斜を測る錘がない。残念ながら単なる羅針盤であった。収穫は朝倉盛明の壮年期の写真を見たことである。

更新日:2007年7月18日